韓国ナンバーワンキャリアウーマンが教える アルファ・ガールの仕事術
♯1 「最初の人」より「最高の人」
何かを成し遂げたと思ったその日から、 失敗への不安が始まる リッチ・ティアリンク(ハーレーダビッドソン元CEO)
テレビや新聞、広告などで、「最年少」とか「初の」といったタイトルを目にすることはありませんか?
「最年少博士」だとか、「韓国初の宇宙飛行士」といったキャッチ・コピーには、ついつい目を奪われてしまいます。
しかし、当の本人にとってこの肩書は、栄誉であると同時に大きなプレッシャーではないでしょうか。もしかすると、責任感とプレッシャーの方が大きいのかもしれません。
二〇〇八年の北京オリンピック自由形で韓国競泳史上初の金メダルを獲得した朴パクテイフアン泰桓選手が、
翌〇九年の世界選手権で予選落ちというショッキングな結果となってしまったのも、まさにこうしたプレッシャーによるものかもしれません。
マスコミは朴選手にこぞってスポットライトをあててきましたが、「関心」は裏を返せば「監視」となるわけで、そうした監視の視線に耐えていくのは非常に大変なことだったでしょう。
私が二〇〇六年五月三一日の地方選挙で当選し、ソウル市初の女性区長となった時、ある知人から受け取ったお祝いのカードに、こう記されていました。
「栄光と重圧を、あなたに」。当時の私の心情を、どんぴしゃりと言い当てた言葉でした。
私の出馬したソウル市の松坡(ソンパ)区は、非常に高い関心の集まった選挙区でした。
「初の女性自治団体長を出す」という党略の下で公認を受けた私は、現職区長など四人の候補者と争い、メディアには「ソウル市初の男女対決!」、「現職と戦略的公認者の激突!」といった扇情的な記事が次々に出ました。
選挙運動中も大げさな文句が行き交いました。「ソンパ区の男はみな、どこへ行くのか?」といった嘆き節から、「女を区長にしてはいけない」といった差別的発言まであったのです。
結果は私の勝利でした。
驚くのは、選挙前に予想されていた「接戦」にはならなかったことです。
あれほど盛り上がった選挙戦が色あせて感じられるほど、フタを開ければ圧倒的な得票差での勝利でした。女性区長に象徴される「新鮮さ、斬新さ」を、区民ははっきりと選んだのです。おかげで私は、ソウル市初の女性区長という華やかな肩書をかかげて、ソンパ区の区政に身を投じることになりました。
けれど、そんな喜びと栄光はわずか一瞬のことです。真の戦いはここから始まったのです。
「ソウル市初の女性区長」という肩書と、圧倒的な得票率という栄誉は、当選後すぐに、プレッシャーとしてのしかかってきました。
人口六九万人という巨大なソンパ区は、住民数だけ見ると広域市(訳注:地方行政区の一つで、日本の政令指定都市に似ている)に負けず劣らずで、その分、一筋縄ではいかない利害関係や要求の絡み合った地域です。
おまけにソンパ区は、一九八八年に江東(カンドン)区から分離して以来、区議会は初期メンバーを中心とする結束が非常に強いところでもありました。
現職区長を倒して保守的な公務員畑から登場した女性の私に対しても、上品に言えば「戦略的公認者」、今時の言葉で言えば「天下り公認者」と、斜に構えた態度をとる人がたくさんいました。どこに行っても「よし、お手並み拝見」といった視線を感じました。
また、「ソウル市初の女性区長」という存在は、韓国女性の未来への試金石でもありました。ソウル市でもっとも人口の多いソンパ区で女の私がその実力を認められれば、自治団体の長への登用はもちろん、社会の各分野において女性が進出しやすくなるのです。
栄光と重圧、賛辞とけん制の狭間で私が思ったこと。
それは、「道の終わるところ、新たに道が始まる」、そして「栄光という『最初』はあっという間に過ぎてしまうが、『最高』という評価は長い時間をかけて成し遂げられる」ということでした。私は選挙期間中に疲れ切った気持ちを上方修正し、この職務をやり抜こうと心に誓いました。勇気を奮い立たせ「必ず成功モデルになってみせる。そうして世間があっと驚くような『黄金の天下り』になってみせる」、そう覚悟を決めたのです。
一から始めるつもりで腹をくくると、自信が戻ってきました。 政務次官時代に培ったリーダーシップと行政での経験は、私にとってかけがえのない財産。女性の強みである細やかさと几帳面さが私の秘蔵の武器になるという確信もありました。地方行政は住民の生活に根づいた要求に添っていくことが大切です。人に対する行き届いた配慮、相手の心を感動させる能力、そういった女性的な資質が力を発揮するはず、と考えていました。 就任初日から新しい発想、それも全国に広げることができるような革新的な政策の開発・推進に力を注ぎました。 アトピーなどアレルギーに対応した保育施設、一五~五五歳の女性に対するプール利用料一〇パーセント割引(訳注:この年齢の女性たちは生理のためにプールが利用できない期間があるという理由から)、右側通行キャンペーン、ハッピー・ウーマンプロジェクト――女性ならではの視点で打ち出したこうしたきめ細かな政策に、区民の反応は上々でした。 するとたちまちソウル市やその他全国の自治体が、類似策を導入し始めました。
就任直後には厳しい視線を送ってきた人たちも、こうした政策努力と結果を見て、少しずつ考えを変えてくれたようでした。ある区議からはこう激励されました。 「実は女性ということで好ましく思っていなかったのだが、男性よりもよくやっているね」。 もちろん最近は「二一世紀は女性の時代」だとか「アルファ・ガールの時代」などといわれ、社会的にも女性パワーに照明があてられてきてはいます。これまでずっと孤軍奮闘してきた女性先輩方を思うと隔世の感があります。 しかし二〇〇九年になってもいまだに「KTX(韓国高速鉄道)初の女性運転士」、「女性警務官第一号」など、「女性第一号」がニュースになるのが実情です。 まだ女性が越えなくてはならない壁は高く、分厚い。女性リーダーが希少種に属する韓国社会では、社会の「ガラスの天井(グラス・シーリング)」はあまりにも分厚いのです。 今でもインタビューを受けると必ず聞かれることがあります。 「男社会の中で唯一の女性ですが、プレッシャーは感じませんか?」 私は決まって豪快に笑いながら「そんなことはない」と答えますが、本音を言えばいつだってプレッシャーだらけ。私がしっかりしなければたくさんの後輩たちに道を切り拓ひらいてあげることはできない。
誰にも文句を言わせないほどの実力を身につけなければ……責任とプレッシャーでいつも押しつぶされそうなのです。これは道を切り拓いて行く者なら誰しも背負わねばならない十字架なのでしょう。 孤軍奮闘している女性たちに捧げたい言葉があります。 ヒラリー・クリントンアメリカ国務長官が二〇〇八年の大統領選挙で敗れた際、自分を支持してくれた一八〇〇人の有権者を前にして演説した言葉です。
「私たちはもっとも高く、もっとも頑丈なガラスの天井を打ち破るのには失敗してしまいました。しかしあの天井には、一八〇〇個のヒビが入りました。 そしてヒビの入った天井のすき間から、明るい希望の光が漏れ出てきています。次はもっと簡単にガラスの天井を打ち破ることができるでしょう」
この言葉を聞くと、胸が熱くなります。そうです、先を行く者、先に高地へ登った者は、人並みはずれた実力と鋼のような情熱を持って、ガラスの天井にヒビを入れねばならない。思い切り叩かねばならない。今日より明日、明日より明後日にはもっとたくさんのヒビが生じ、積もった雪がやがて溶け落ちてくるように、いつかはその天井がガラガラと音を立てて崩れ落ちる日がやってくる。そう信じて。この瞬間にも私は「第一号」よりも「第一人者」、「最初の人」よりも「最高の人」として、人々の心に残ることを誓うのです。才能ある女性の後輩たちが、私よりも障害なく自分の道を歩めることを願いながら。





ブラックマヨネーズ
地鶏の炭火焼きやチキン南蛮などが話題になった宮崎県の新名物が「元祖にくまき本舗」の、にくまきおにぎり。にくまきは独自炊飯で炊きあげたオリジナル米を、秘伝のタレで焼いた豚肉で何層にも巻いたおにぎりで、紹介者のブラックマヨネーズ小杉さんいわく、「一見しつこそうで、さっぱり!」。大阪の番組で食べた際に「思わず進行を忘れたほど」で、それ以来、「その味と大人のコブシほどあるボリューム感の虜になってしまった」(小杉)とか。





