2012年1月13日 (金)

韓国ナンバーワンキャリアウーマンが教える  アルファ・ガールの仕事術

♯1 「最初の人」より「最高の人」

何かを成し遂げたと思ったその日から、 失敗への不安が始まる リッチ・ティアリンク(ハーレーダビッドソン元CEO)

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テレビや新聞、広告などで、「最年少」とか「初の」といったタイトルを目にすることはありませんか?  「最年少博士」だとか、「韓国初の宇宙飛行士」といったキャッチ・コピーには、ついつい目を奪われてしまいます。 しかし、当の本人にとってこの肩書は、栄誉であると同時に大きなプレッシャーではないでしょうか。もしかすると、責任感とプレッシャーの方が大きいのかもしれません。
二〇〇八年の北京オリンピック自由形で韓国競泳史上初の金メダルを獲得した朴パクテイフアン泰桓選手が、 翌〇九年の世界選手権で予選落ちというショッキングな結果となってしまったのも、まさにこうしたプレッシャーによるものかもしれません。 マスコミは朴選手にこぞってスポットライトをあててきましたが、「関心」は裏を返せば「監視」となるわけで、そうした監視の視線に耐えていくのは非常に大変なことだったでしょう。

私が二〇〇六年五月三一日の地方選挙で当選し、ソウル市初の女性区長となった時、ある知人から受け取ったお祝いのカードに、こう記されていました。 「栄光と重圧を、あなたに」。当時の私の心情を、どんぴしゃりと言い当てた言葉でした。

私の出馬したソウル市の松坡(ソンパ)区は、非常に高い関心の集まった選挙区でした。 「初の女性自治団体長を出す」という党略の下で公認を受けた私は、現職区長など四人の候補者と争い、メディアには「ソウル市初の男女対決!」、「現職と戦略的公認者の激突!」といった扇情的な記事が次々に出ました。 選挙運動中も大げさな文句が行き交いました。「ソンパ区の男はみな、どこへ行くのか?」といった嘆き節から、「女を区長にしてはいけない」といった差別的発言まであったのです。 結果は私の勝利でした。

驚くのは、選挙前に予想されていた「接戦」にはならなかったことです。 あれほど盛り上がった選挙戦が色あせて感じられるほど、フタを開ければ圧倒的な得票差での勝利でした。女性区長に象徴される「新鮮さ、斬新さ」を、区民ははっきりと選んだのです。おかげで私は、ソウル市初の女性区長という華やかな肩書をかかげて、ソンパ区の区政に身を投じることになりました。
けれど、そんな喜びと栄光はわずか一瞬のことです。真の戦いはここから始まったのです。 「ソウル市初の女性区長」という肩書と、圧倒的な得票率という栄誉は、当選後すぐに、プレッシャーとしてのしかかってきました。 人口六九万人という巨大なソンパ区は、住民数だけ見ると広域市(訳注:地方行政区の一つで、日本の政令指定都市に似ている)に負けず劣らずで、その分、一筋縄ではいかない利害関係や要求の絡み合った地域です。

おまけにソンパ区は、一九八八年に江東(カンドン)区から分離して以来、区議会は初期メンバーを中心とする結束が非常に強いところでもありました。 現職区長を倒して保守的な公務員畑から登場した女性の私に対しても、上品に言えば「戦略的公認者」、今時の言葉で言えば「天下り公認者」と、斜に構えた態度をとる人がたくさんいました。どこに行っても「よし、お手並み拝見」といった視線を感じました。
また、「ソウル市初の女性区長」という存在は、韓国女性の未来への試金石でもありました。ソウル市でもっとも人口の多いソンパ区で女の私がその実力を認められれば、自治団体の長への登用はもちろん、社会の各分野において女性が進出しやすくなるのです。 栄光と重圧、賛辞とけん制の狭間で私が思ったこと。 それは、「道の終わるところ、新たに道が始まる」、そして「栄光という『最初』はあっという間に過ぎてしまうが、『最高』という評価は長い時間をかけて成し遂げられる」ということでした。私は選挙期間中に疲れ切った気持ちを上方修正し、この職務をやり抜こうと心に誓いました。勇気を奮い立たせ「必ず成功モデルになってみせる。そうして世間があっと驚くような『黄金の天下り』になってみせる」、そう覚悟を決めたのです。

一から始めるつもりで腹をくくると、自信が戻ってきました。 政務次官時代に培ったリーダーシップと行政での経験は、私にとってかけがえのない財産。女性の強みである細やかさと几帳面さが私の秘蔵の武器になるという確信もありました。地方行政は住民の生活に根づいた要求に添っていくことが大切です。人に対する行き届いた配慮、相手の心を感動させる能力、そういった女性的な資質が力を発揮するはず、と考えていました。 就任初日から新しい発想、それも全国に広げることができるような革新的な政策の開発・推進に力を注ぎました。 アトピーなどアレルギーに対応した保育施設、一五~五五歳の女性に対するプール利用料一〇パーセント割引(訳注:この年齢の女性たちは生理のためにプールが利用できない期間があるという理由から)、右側通行キャンペーン、ハッピー・ウーマンプロジェクト――女性ならではの視点で打ち出したこうしたきめ細かな政策に、区民の反応は上々でした。 するとたちまちソウル市やその他全国の自治体が、類似策を導入し始めました。

就任直後には厳しい視線を送ってきた人たちも、こうした政策努力と結果を見て、少しずつ考えを変えてくれたようでした。ある区議からはこう激励されました。 「実は女性ということで好ましく思っていなかったのだが、男性よりもよくやっているね」。 もちろん最近は「二一世紀は女性の時代」だとか「アルファ・ガールの時代」などといわれ、社会的にも女性パワーに照明があてられてきてはいます。これまでずっと孤軍奮闘してきた女性先輩方を思うと隔世の感があります。 しかし二〇〇九年になってもいまだに「KTX(韓国高速鉄道)初の女性運転士」、「女性警務官第一号」など、「女性第一号」がニュースになるのが実情です。 まだ女性が越えなくてはならない壁は高く、分厚い。女性リーダーが希少種に属する韓国社会では、社会の「ガラスの天井(グラス・シーリング)」はあまりにも分厚いのです。 今でもインタビューを受けると必ず聞かれることがあります。 「男社会の中で唯一の女性ですが、プレッシャーは感じませんか?」 私は決まって豪快に笑いながら「そんなことはない」と答えますが、本音を言えばいつだってプレッシャーだらけ。私がしっかりしなければたくさんの後輩たちに道を切り拓ひらいてあげることはできない。

誰にも文句を言わせないほどの実力を身につけなければ……責任とプレッシャーでいつも押しつぶされそうなのです。これは道を切り拓いて行く者なら誰しも背負わねばならない十字架なのでしょう。 孤軍奮闘している女性たちに捧げたい言葉があります。 ヒラリー・クリントンアメリカ国務長官が二〇〇八年の大統領選挙で敗れた際、自分を支持してくれた一八〇〇人の有権者を前にして演説した言葉です。

「私たちはもっとも高く、もっとも頑丈なガラスの天井を打ち破るのには失敗してしまいました。しかしあの天井には、一八〇〇個のヒビが入りました。 そしてヒビの入った天井のすき間から、明るい希望の光が漏れ出てきています。次はもっと簡単にガラスの天井を打ち破ることができるでしょう」


この言葉を聞くと、胸が熱くなります。そうです、先を行く者、先に高地へ登った者は、人並みはずれた実力と鋼のような情熱を持って、ガラスの天井にヒビを入れねばならない。思い切り叩かねばならない。今日より明日、明日より明後日にはもっとたくさんのヒビが生じ、積もった雪がやがて溶け落ちてくるように、いつかはその天井がガラガラと音を立てて崩れ落ちる日がやってくる。そう信じて。この瞬間にも私は「第一号」よりも「第一人者」、「最初の人」よりも「最高の人」として、人々の心に残ることを誓うのです。才能ある女性の後輩たちが、私よりも障害なく自分の道を歩めることを願いながら。

2011年7月26日 (火)

ダウンタウンDX PRESENTS 食べたい!スターのお気に入り

001 ブラックマヨネーズ

小杉竜一さんのオススメ
東京・八王子「元祖にくまき本舗」
にくまき
300円

番組の進行を忘れるほどのおいしさでした!

1973年7月5日、京都生まれ。蟹座。O型。

 

 

"にくまき"の味とボリューム感に「ヒーハー!」

002 地鶏の炭火焼きやチキン南蛮などが話題になった宮崎県の新名物が「元祖にくまき本舗」の、にくまきおにぎり。にくまきは独自炊飯で炊きあげたオリジナル米を、秘伝のタレで焼いた豚肉で何層にも巻いたおにぎりで、紹介者のブラックマヨネーズ小杉さんいわく、「一見しつこそうで、さっぱり!」。大阪の番組で食べた際に「思わず進行を忘れたほど」で、それ以来、「その味と大人のコブシほどあるボリューム感の虜になってしまった」(小杉)とか。
 スタジオでも試食した松ちゃんが、小杉さんのお株を奪って「ひーはー!」と絶賛。タバスコを数滴たらすと大人の味に変身するので、お試しあれ!

サンチュを合わせるとさらにおいしく

宮崎のファストフード、にくまきは、1992年にオープンした居酒屋「雑食堂」の店長が従業員用に考案した賄い飯がルーツ。現在は、にくまきのほかチーズにくまき、トマトにくまき、キムチにくまきなどメニューも豊富に。

003_3 東京都八王子市南大沢2-1-6
東京ミートレア内
0985-78-2941
11:00~22:00(変動の場合あり/年中無休)
http://www.nikumaki.com/
●宮崎、大阪、沖縄、名古屋など全国に店舗あり。ホームページからも購入可能。

2011年7月12日 (火)

#6 クリエイティブであるためにかっこよく生きろ(後編)

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板尾「肩書きだけを目指すのはちょっと寂しいような気がしますね。たとえばお金持ちになりたいと思って生きていると、どこまで行っても満足しないでしょう。それよりも好きなことをやっていたら評価されて、その結果お金が入ってきてというのが一番の幸せだと思うんです。本当に好きなことがあって心からワクワクできることがあるならそれをやればいい。成功するかどうかわからない、ビジネスになるかどうかもわからない。でもやることが幸せならやればいい。自分ならそういう人と仕事をしたいですね。」

白岩「結局、クリエイティブって生き方に関わるんやろうな。ひとつ言えば、小さな損得勘定を捨てられるかどうかもそうやと思う。YCCの学生にもよく言うんやけど。たとえば電車に乗るときに並ぶなと。ドアが開いた瞬間に人を押しのけて、我先に座れたから得した、みたいな感覚は捨ててしまえ、カッコ悪いって。ついでに言うと、並ばないといけないという感覚自体捨ててしまえと。最後に乗って窓際に立ってたらいい、他の人から見てなんかかっこいいなぁと思うような立ち方で、窓の外見てろ、言うてるんや。その点、板尾はそうしたものをいっぱい捨てている感じがある。自分を捨ててきた人生。」

板尾「あはは。」
白岩「それが板尾のクリエイターとしての立ち姿やな。肩書きでも資格でも何かを身につけたい人はたくさんいる。でもそうしたものを身につけることにとってしなやかさというかそういったものが失われてしまう。昔、上岡龍太郎さんがよう言うてた。「立って半畳、寝て一畳」。まさにその通りで、捨てていいものはいっぱいあるいうことやな。」

板尾「同じ人というのは世界にふたりとしていません。それだけで個性だと思うんです。だから、人がこうしてるから、世の中がこうだからというんではなくもっと自分を信用してみる。ものをつくるのは結局のところ自分自身ですからね。自分ひとりで何もかもすべてができるわけではない。上に行けば行くほどすごい人がたくさんいる。すべてやりたい、あの人みたいになりたいという気持ちはわからなくはないけど、もっと自分を見つめていくと見えてくるものがきっとある。クリエイティブの世界では自分こそが武器ですからね。できないことを捨てていけばおのずとできることだけが残る。私はこれを見つけた。私にはこう見える。それは世界で自分たったひとりだけのものですし、こんなにすばらしいことはないと思いますけどね。」

2011年7月10日 (日)

#5 クリエイティブであるためにかっこよく生きろ(前編)

白岩「実際に監督していく中で壁のようなものを感じたことはあったか?」

板尾「特に感じたことはないですね。壁に当たっていたのかもしれないけど感覚的にわからない。考え方としてそうしたすべてがやりたいことの過程だったので、壁に当たってる・当たってないということではないんです。たとえ当たっていたとしても、それによって回り道をしたことで違ったことが見えてきたということもあったし、悩んだことや失敗したことが結果的にはよかったと思っています。」

白岩「それがものづくり。つくるっていうのはそういうことなんやろうな。ところで、板尾にとってクリエイティブの定義というのはある? そもそも「クリエイティブ」っていうのも、「定義」っていうのもどう捉えるか難しいけど。」

板尾「そうですね。両方とも人それぞれ解釈があっていいものですからね。」

白岩「ただこの業界でひとつ言えるのは「僕もあんなことをやってみたかった」「あの番組に携わりたかった」というのはクリエイティブではない感じがするんやな。「やりたかった」というのがすべて悪いとは言わないけど、たとえば映画監督にしたって、やってみないかと言われたとき「やってみたかったんです」だけでは難しい。実際にそこで新しいものがつくれるか、自分らしさを作品に表現できるかどうかということが大事。ピースとしてはまる感覚というのはクリエイティブとは言えない。」



2011年7月 8日 (金)

#4 最終的に信じられるのは自分。正解・不正解でなく、好きか嫌いか(後編)

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白岩「ベースにあるのは信頼ということかな。「まかせる」っていうのもふたつの意味があって、そこに信頼がなければ単なる丸投げやし。でもそこに「最後は自分が責任を取る」という信頼があると「期待」になる。確かに板尾にとってはしんどかったと思う。でもその中で試行錯誤しながら作品をつくりあげて、「新人らしからぬ作品」という評価をもらった。そうなると、やっぱり板尾はできた、そう思った自分は間違ってなかったとなる。」

板尾「好きなものを撮らせてもらう。そうなるとええかっこもくそもなかったですね。外に何かを求めようとしたって結局信用できない。自分しか信用できないわけです。自分という人間と正面から向き合ってさらけ出していくしかない。最終的には監督である自分がジャッジするわけですから。たとえば、見つめ合うふたりの距離が1mなのか5mなのか10mなのか。そこにあるのは正解・不正解ではなく好きか嫌いか。自分が見てきたものはこれっていうのしかないんです。」

白岩「それがものをつくるということやな。俺に関して言えば、板尾ならそうした基準みたいなものを持っていて、それができるであろうというヨミであり、見極めかな。普段から板尾と親しいからとか仲が良いからというのは一切ない。遊んでいて「映画つくりたいんです」「そう、ならやってみる?」という軽いノリやない。


2011年7月 6日 (水)

#3 最終的に信じられるのは自分。正解・不正解でなく、好きか嫌いか(前編)

白岩「『脱獄王』の監督依頼をしたとき、こちらからは具体的なテーマというのは設定しなかったよな。」

板尾「好きなものを好きなようにつくったらいいというだけでしたね(笑)。普通ならあると思うんですよ、こうしてほしいっていう意図なり、ターゲットなり、テーマなりっていうのが。だから、取っ掛かりを見つけるまでは大変でしたね。さっきも言ったように自分が映画を撮るなんて夢にも思ってなかったわけですから。話をもらってうれしかったし、期待に応えたいと思っているけど、僕自身なんにもない人間だと思っているわけで。でもこうしてつくってみて、自由にやらせてもらえてよかったと思っています。」

白岩「俺もつくる側の人間やから思うんやけど、事前に制約をつけるというのはその人に対してちょっと失礼な感じもするよな。」

板尾「それは僕も思いますね。後輩がうまいラーメン屋があるからといって行くじゃないですか。こっちは初めて行くわけだし一番のおススメを頼むんですけど、座ったらこってりかあっさりか、麺は硬めがいいか柔らかめがいいかと訊いてくる。そんなん知らんて話ですよ(笑)。こってりとか硬めなんていうのは人によって違うものだし、そういうことを訊かれると自信がないんかって思ってしまいますよね。」

2011年7月 4日 (月)

#2 「場」をつくることがものづくりの第一歩 (後編)

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白岩「そう。自然にみんなが気持ちをひとつにできるような空気感に包まれた「場」。みんなが監督のために、作品のために、というその一点だけに向かっていけるか。人がそう思っていてもひとりでもそうでない人がいたらこうした空気感は生まれない。町おこしなんかでも有志だけでやっているのと町全体が本気になって取り組んでいるのとでは雰囲気が全然違ってくる。ものづくりにとって「場」というのは重要というより大前提。「場」ができてないと当たるものも当たらないし、ましてや結果が予想を上回るということは絶対にない。」

板尾「確かに愛情が感じられない現場っていうのも、実際は結構あったりしますからね。いろいろな制約がある中で事情もあったりするんでしょうけど、自分のことだけで手一杯になってしまって、そのときだけ良ければというふうになってしまう。でも、それだとやっぱりいいものっていうのはつくれないと思うんです。映画って家をつくるようなものじゃないですか。つくりました、ヒットしました、儲かりました、よかった、楽しかったで終わるものではない。やっぱり形になる以上は100年後、200年後に残っていくかどうかの方が大事なことだと思いますし、時間が経って味が出ることだってある。そして、そのためにはやっぱり、そのとき良ければという人ではなく、時間もお金もない中で一生懸命になってくれる人と出会えるか、引き寄せられるかというのが肝心なところだと思うんです。」

白岩「でも「場」をつくるというのは言葉で言うほど簡単なことではないよな。一度つくってしまえばそれでいいかといえばそうとも言えないし。予期せぬトラブルが起きたり、人間関係だって生ものやし。始めてみたものの監督が孤独になってしまうことだってある。そういう意味で言うと、場は「つくる」のではなく「つくり続け」なければならない。」

板尾「実際、撮影の現場に白岩さんが来られることはなかったですけど、確かに安心感はありましたね。人を介したりという形ですけど気にしてもらっているなと。オカンみたいな存在、ですかね(笑)。昼飯はちゃんと出ているのか、雰囲気は悪くなってないか、というのが伝わってきて気持ち良くできました。」

2011年6月29日 (水)

#1 「場」をつくることがものづくりの第一歩 (前編)

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白岩 「板尾と改めてこうやって話をするのもなんか変な感じやなあ。昔からお互い知ってはいたけど、直接一緒に仕事っていうのは最近のことやからな。」

板尾 「そうですね。『ダウンタウンDX』でも白岩さんはずっとスタジオの奥にいましたもんね(笑)。3年前くらいですかね、ヨシモト∞ホールで偶然会って、「なんかおもしろいことやろう」と立ち話をしたことはありましたけど。」

白岩 「板尾も俺もガツガツいかないタイプやからな(笑)。俺なんか必要性がない限り、打ち上げもなんも行かへんし。だから人となかなか仲良くなれへん(笑)。板尾とも、いつの間にか、というのがなんかしっくりくるよな。」

板尾 「そうなるとやっぱり『板尾創路の脱獄王』のときでしょうかね。膝を突き合わせて、お互いを認識してという意味では。」

白岩 「いや、それを言うなら俺としてはその前の『100本映画(YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100)』のときが最初。絶対板尾には撮らせてみたいと思ったもん。なぜかっていうと、板尾の存在感というか立ち位置は独特やからな。みんながオンリーワンになりたいと思って一生懸命がんばっているのに、板尾はがんばってなくてもオンリーワンでいる。板尾には俳優として『晴れたらポップなボクの生活』や『大日本人』なんかにも出てもらったけど、昔から映画をつくらせたらおもしろいんじゃないかと思っていた。そういや、最初は『脱獄王』も嫌がってたよな。」

板尾 「『脱獄王』どころか『100本映画』も最初は断ったんですよ。映画監督というのは自分の中でちょっと考えたことがなかったし、できるわけがないと思ってましたから。」

白岩 「そうかな。俺は「場」さえしっかりつくってあげればできると思ってたよ。吉本の大﨑社長ともそう話してたんや。」

板尾 「「場」ですか……。」